元センセー 日記

元都内公立小学校教師、現在は色んな考えや世界に触れて変わっていく自分とその周囲を観察するのが楽しい.

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インドビザ申請でトラブって。。

 

 

5月25日から渡印予定は、インド最初の登竜門と言われるビザ申請によって見事にその出鼻を撃ち砕かれた。

 

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インド大使館外装

 

過去に人に頼まれたものも含めて4回観光ビザ申請したことがあったインドビザ申請。

 

その過程は手間も時間も多少かかるがなんの問題もなく通過出来ていた。

 

 

インドVISAなんてちょろいぜ、などと自負していたところに穴があった。寝耳にウォータースライダーといったところだろうか。

 

 

◆インドビザ申請流れ

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今まで茗荷谷や三田で申請してた人には無縁だったインド登竜門の本城「インド大使館」

 

一応インドビザ申請されたことがない方のために申請から受け取りの流れをご説明。

 

1.インドビザ申請サイト(英語)から必要事項を打ち込む。

 

2.プリントした書類に写真(規定厳守)を貼り付けサイン。

 

3.九段下の大使館に書類とパスポート、行き帰りのチケットを持って行き申請。(以前は三田にある代行センターに持っていった。)

 

4.書類に不備が一切なければそのまま申請料金(観光ビザで郵送不要なら1400円)を払い3営業日以降に取りに来るよう言われる。

 

5.大使館でビザが載ったパスポートを受け取る。(16:00〜17:00までの一一時間のみ)

 

という流れ。

 

 

そこまで困難に思えないかもしれないが、何が大変って窓口も何もインド対応なこと。

 

受付のインド人のおばちゃんが書類の不備を一つ見つけるとまた一からネット上で作り直しプリントして持っていく。

そうすると、今度はまた違う箇所を指摘してまたまた一からやり直し。

なんてのを何度も繰り返されたりする。

 

申請した内容と最終的に発行されたVISA内容が違うなんてのもよくある。

 

よく窓口で切れているスーツ系の人を見かけたりするけど、出張とかではじめて渡印する人は、ビザ申請時にインドの洗礼を受けるんだろう。

 

 

 

ところで今回自分が遭遇したミス、というかトラブルをお話しする。

これからインドに渡る方々は、ぜひぜひこれを反面教師にして欲しい。

 

◆仕事欄の書き方に要注意

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九段下駅ここにあと何回来る羽目になるのやら。。

 

 

申請質問の中に仕事についての質問がある。公務員、軍隊、労働者、家事など細かく分かれている。

私は以前出版社で働いていたので迷わずPublisher(出版)を選択。

申請時は仕事を辞職した時だが無職にすると変な疑いを受けることがあるというので前職でも記入する方がベターと考え、かつworkerよりも詳しく書いた方が疑いが少ないのでやっぱりPublisher(出版)を選択。

 

しかし、これが大きなあだになった。

 

なんとPublisher は自動的にビザの種類が「ジャーナリストビザ」になってしまうらしいのだ。

 

申請時に自分はジャーナリズムは一切しない、観光目的で行くだけだと伝えたが、窓口のおばちゃんに強く「この仕事は何があってもジャーナリストビザになる!」「この観光ビザってとこをジャーナリストビザに書き替えてサインしな!」迫られ、半ば強制的になぜかジャーナリストビザで行くことに。

それでもあまり逆らわず、まあインドに行けるならいいか。

と思いサイン。

 

そして3日後。

ビザが載ったパスポートを無事受け取り胸をなでおろし、ビザの有効期限を見てみると申請したのは6ヶ月のはずが、半分の3ヶ月で終わっているのだ。

 

すでに5ヶ月後の飛行機チケット購入済み(購入してないと申請できない)。

 

急いで窓口に問い合わせると「ジャーナリストビザは3ヶ月。」だと。

 

いやいやそんなこと聞いていないし、やり直してくれと言っても。

「自分でサインしたじゃん。やり直しても一緒だよ。」

「もう一回帰ってくれば。」

「チケットなんて知らん。ビザが無いと行けないじゃん。」

と全く話ができない。

 

額に汗がにじむ。。

 

そのうち焦る私に窓口のおばさんは「そもそもなんで毎年こんなに長くインド行くの?」と聞いてきた。

 

そして、私は絶対致命的なミスを犯した。

 

 

 

◆ボランティアという厳守ワード

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 庭ではスズメが平和に水浴び中。ここもインド特有の悲劇と喜劇の連続ショーだ。

 

「なぜインド行くの?」

 

という質問に私は

 

「インドが好きだからだよ!それにむこうでボランティアに行くんだよ!」

 

「!!!?」

 

ん?

 

窓口のおばさんが更に強気な口調で

「ボランティアは法律違反です!」

と。

 

?え!?

 

知らんよ。

 

そんなことはじめて聞いた。

 

 

実はインドでボランティアする場合は正式にはビジネスビザと同等のボランティアビザが必要で、現地団体の証明書や誓約書、紹介状、職歴書など7点ほどの書類が必要になってくる。

インドは一切ボランティアなど必要ない、逆にありがた迷惑、くらいのスタンスということなのだ。

 

ボランティアという言葉は超要注意ワードだったのだ。

 

 

 

そして、奥に引っ込み南インド風のボス男が出てきたと思うとボス男はまくし立てるようにめちゃめちゃインド訛りの強い早口英語で話しかけてくる。

 

f:id:watashino-pc:20170525111425p:plainBOSS男

 

しばらく聞いて

「I can't understand your talking at all( 全く何言ってんだかわかりまへん)」

と答えた。

 

すると

「No you understand this(いや分かってるはずだ!)」

と。

 

しばらく睨み合いが続く。

 

 

 

 

ボス男はこれまた気が強そうな日本人女性を呼び通訳を依頼。

 

「ボランティアは何をするのか」

「なんという団体だ」

「団体の名前と代表は」

「日本にあるのか」

「どこで活動しているのか」

「宗教的活動団体なのか」

などあらゆる情報をほりだそうと質問ぜめしてきた。

 

 

しかし、そもそも半年の滞在の中で一週間にも満たないボランティア活動でボランティアビザとやらを申請しなければ行けないのか?

 

と聞いても

答えない。

 

そして最後に

「本日は以上。

こちらからの連絡を待ってください。いつになるかわかりません。」と吐き捨て窓が落ちた。

 

 

 

あまりに唐突で無礼で何が起きたか分からず、状況を理解しきれない自分にしばらく呆然とその場に佇むしかできなかった。

 

 

こうしてインド渡航は白紙に戻った。

 

 

ちなみにこんな記事も見つけました。↓detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

こちらは恐ろしい話です。wai.tabigeinin.com

 ◆トホホな・・・その後

それから5日ほど経ち、大使館からは一向に連絡が来る様子がない。

 

電話してみた。

 

 

「はいインド大使館です。」

あの時の通訳した気が強い日本人女性がでた。

「先週ビザ申請時にトラブル起き連絡待ちのものですが、その後どうなっていますか。」

「それは本国(インド)と協議しております。」

「何について話をしているんですか?

「それはお答えできません。お待ちください。」

という塩回答。

「では。」

「いや、あの。どれくらい待てばいいんですか。こういうのはじめてで一週間待てばいいのか1ヶ月あるいは一年くらい待てばいいのか全く見当がつかないんですが。」

「期間ですね。確認します。後程お電話いたします。」

 

 

がちゃん。

 

 

 

10分後。

 

電話がくる。

「もしもし。」

「インド大使館です。先程の件ですが、メモを取ってください。言いますよ!」

「え?!あ?  はい。」

fcra clearance for ngoの書類を提出してくださいとのことです。以上です。」

 

ガチャン。

 

ムカッ

 

こと一方的で唐突で無礼な洗礼はいつまで経っても慣れない。

 

 

 

そして、どうやら私は、次のビザ取得のためのヒントを得たようだ。

 

あまりに少ない手がかりだが、いつかはお宝まがいのインドビザをゲット出来る日を夢見て一つ一つ試練を乗り越えていくしかなさそうだ。

 

それにしても電話しなかったら、こちらが聞かなかったら、ずっとほったらかしだったんだろう。

 

◆まとめ

 

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インドのゲートがなんとも大きく高く感じられる今日この頃、あっち側とこっち側ではえらい違いだ。(2016年の今頃)

 

  • つくづくインドという国には自分の積極性や主体性を要求される国であることをあらためて実感する。
  • そしてみなさん「ボランティア」というワードは気を付けて。

     

 **************

 インドは現在COVID-19の影響が治まる様子がありません。長い目で向こう1年くらいは渡航できないと考えた方がいいかもしれませんね。

インドおすすめ映画

 

**************

つづく。

 

ぼやき③

私のベースに流れているものを思い出した。

 

 

虚無感。

 

生きることにも意味が無い。

 

私の向かう先には目的地も無いし、

ゴールしようとも思わない。

 

全てのことに興味ないし、

つまらない。

 

ただ、こう生きていることが辛い。

 

こういう人生が少なくともあと何十年も続くのかと思うだけで憂鬱になる。

 

 

楽しいことや喜びはあるけど、すぐに消えてしまうし、悲しいや惨めな思いははずっと残るし。

 

 

 

ただ、ただ、生きるのが苦痛。

 

今までなんで忘れてたんだろうか。

 

希望を持っていたのか?夢を描いていたのか?

 

 

でも突然ものすごい虚しさに襲われることがあった。

 

 

それに抵抗するし、思い出したくないし、何もしたくないし、

それでも世の中は流れていく。

 

 

消えてしまいたい衝動とか

無気力感ってのは、気分が悪い。

 

 

こういう時に命の大切さを説かれても、生きたくても生きれない、、、、とか言う方々もいらっしゃる。

 

 

たぶん、自分のことしか見えていないのか。

わたし。

 

 

みんな惨めで意味を見出せない虚しさの中で生きているのだろうか。

 

 

生はこんなに過酷なものなのか。

 

 

自分から死を選ぶ気持ちもよくわかるよ。

 

 

 

何にもないんだ。

 

ふう。。

 

つづく。

 

 

他人に人生を委ねている人間の苦悩

いつも戦っていなければいけないというのはつらいですね

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12年間。

自分の年齢の約半分の期間競技の世界にいたからか

自分の生まれつきの負けず嫌いからか

現代の比較競争教育の賜物か

 

全てが相まって

私は常に何かと人と優劣を付けなければ

自分を保てないらしい。

 

 

 

 

 

戦士がいざという時に自分を守ってくれるだろう

鎧を脱ぐのは容易いことじゃあない

その行為は死にも値する。

 

何層もの強力なプロテクターをまとった心は固く重い

そして中に守られた心はあまりに繊細で儚い

 

誰にも傷つけられまいと

私は必死に警戒し、疑い、恐れ、怒る。

 

 

戦いというのは勝っても負けても

どんな過程においても酷く自分を惨めにする。

 

負ければ自分の存在は否定される。

くだらないけど、遊びでやるトランプなんかでも

私はその勝敗にこだわり負ければ

「勝ったものに服従するか或いは存在価値が無い自分を消したい」と思う。

 

逆に勝つと優越感を握りしめたいという衝動と

「それは最低の人間がすることだ」と戒め

しかし「見下すという精神が血潮にヒタヒタと流れている自分」を心から軽蔑する。

 

 

今まで誰も

「卓球(を競技としてやっていた)で君の存在価値が決まるわけじゃないよ」

「勝ち負けは人生でそんなに大切じゃあないよ」

と教えてくれなかった。

言っていたとしても、何かの勝敗、優劣が私への態度や扱いに大きく影響していたのは間違いなかった。

 

大学在学中にはそのスポーツ競技の修羅から逃げ出したくて

「芸術だ」「芸術こそがありのままの自分でいられる場所だ」

と信じて飛び込んだ「デッサン基礎クラス」。

出鼻を折られるように終了後に全員の絵を前に並べて

左が1番「優秀」右に行けば行くほど「劣」という風に扱われた。

 

もう何にもしたくなかった。

 

何も出来なかった。

自分で自分の価値を判断できるような人間としての教育を受けなかった。

 

とにかく何かにしがみつき誰かに自分をほめて、認めてほしくて、必死だった。

そうしないと

価値のないだろう自分の存在は遂に無くなってしまうと思った。

一言も話をしないで3日が過ぎた時、自分が透明人間じゃないかと本気で思った。

 

他人に人生を委ねている人間の苦悩

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ここまで書いて来てさんざん

「周囲のせいでじぶんはこうなった」

「周りは助けてくれなかった」

と言っているけど

 

 

これらの責任は全て

私が今まで自分でひとつも判断せずに

「自分の判断、評価、つまり人生そのものを人に委ねてしまった」からに間違いない。

何を食べるか、何を知るか、何が大切か、何をしたいか。。

「あたしゃ、こう生きる!」と一度出も言ったことがあったか。

 

 

他人に人生を委ねている人間の苦悩だ。

 

たとえ、競技の世界にいる人でも、自分で判断している人は目の前の勝敗に一喜一憂することは少なく、自分の行為の結果としての勝敗を健康的に受け止めることが出来ている。

 

この殺し合いのらせん階段から抜けるには

自分自身で自分の人生を歩く以外ない。

と思う。

 

つづく

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希望とは

何かの度にいつも口にする言葉がある。

 

「希望さえあれば」

 

希望さえあれば人は生きていける

希望がないと人はどんな状況であっても死ねる

 

とつくづく思う。

 

◆希望とは何なんだろうか?

 

希望は思うに

「明日への、将来への肯定的な想像力」

 

たかが妄想だなんてバカにしてはいけない。

この強力なプラスの妄想は

私達の世界を変える。

人々の表情を変える。

腰を上げて歩き出そうとする為の原動力になる。

 

どんな困難な状況でも

どんな問題が起きても

 

 

「希望を持ち続けることが大切だ」

たかだか27才の青二才の小生だけど胸を張って言っておく。

 

 

「いや違う、問題解決のためには精神論・感情論では不十分だ。」

 

「問題把握力、解決力、発想力、自分の出来ない仕事の援助を請う為のコミュニケーション力が無ければ根源的な解決にならない。二の舞を踏むだけだ。」

と言う人がいるかもしれない。

 

 

その通りだ。

不十分であるに決まっている。

肯定的想像である希望だけでは

飯は食えないし仕事は終わらない。

 

でも

希望なしには人は何も出来ない。

希望なしには問題を把握する力を付ける以前に解決を諦める。

 

 

トンネルの先に光があると分かるからそこに向かって、まず歩き出せる。

 

いくらクマ撃退力がレベル100のおっちゃんがいたとしても、「倒せるかも」という希望が無かったらクマが現れる前に戦闘を辞めるだろうし、戦ったとしても倒せるわけないし、そもそも希望を持たないおっちゃんが撃退する為の修行を始められない。

 *この例えはひどい。。。

 

希望はそこに僅かな可能性を見出す想像力?

 

 

私達が「今の状態を維持していたい」という

慣性の法則にわざわざ抗って

重たい身体と気持ちを鼓舞して仕事に行くのも

こたつから出て冷たい便座に腰を下ろすのも

 

「その先にいいこと(≒幸せ)があるんだ」と

肯定的な想像力を働かせて将来に「希望」を持てているからじゃないの?

 

それとも欲を満たしたいという欲求に駆り立てられているだけ?

 

それならば

「馬の顔前にニンジンを吊る下げて走らせるように外部からの賞罰などによってもたらせる外発的動機づけはコントロールされやすいし、悪いように利用され得る。」

「そもそも行動そのものでなく賞罰が目的だから、その過程が効率的な行動にならないし、楽しくない」と

言う人がいるかもしれない。いないかも。

 

いやもう私は何を言っているんだ。

滅茶苦茶過ぎる。

 

 

でも

うるさい。

うるさい。

 

いいんだそんなこと。

細かいこと言うな。

 

 

私はただ生きて欲しいだけだ。

 

人々がどんな状況であっても

 

自分を貶めず

自分の命を投げ出さず

自分の手で全てを終わらせず

 

無知でも

無能でも

無力でも

 

なんでも

生きてさえいれば

と思っているだけだから。

 

 

 

今の私は

たとえ預金残高が一桁を切り、仕事も見つからず、

自分の力不足を目の当たりにしてあわや絶望しかけても

 

生きていける。

 

「大丈夫、何とかなるさ」とあたしに言ってやるよ。

 

希望さえあれば生きていける。

 

 

充分な給与をもらい、住む所があり

自分を心から愛してくれる人々に囲まれ

周囲が羨むような状況でも

 

希望が無いと

 

虚無感に苛まれ

空しい、何をしても意味がないと。

何になるのだと。やっても変わらないと。

どうせまた同じ繰り返しだと。

 そうすると

 

死ぬよ

 

 

 死ぬな

 

 死ぬなよ

 

 

 

希望とは何なんだろうか?

夢と同じようなものなのか?

 

ここまで書いて自分でもよく分からなくなって来た。

 

やっぱり

ごめんなさいね。

 

希望学というのが東京大学にあるらしい。

 

つづく

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家族を捨てる日本人~幸せとは~

「・・わが愛するインドよぉ。

また会う日まで、それまで泣くな、

お互い元気にやろう。」

 

インド半年滞在を終え

私は遂に帰国の途についた。

 

*このブログは1か月前に下書きしたものです。

 

 上海空港にて

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道すがら

経由地の上海で

例によって飛行機に4時間の遅れが出た。

中国東方航空では日常茶飯事)

 

21番ゲート前はため息つく人々で溢れかえっていた。

 

私はその後の乗り換えも帰国後すぐの予定もなく

何時間遅れても平気、という

余裕な態度で

どっしりと椅子に腰かけて

瞑想でもしようかと思ってた。

 

 

ふと隣に座っている

黒のスーツを着た男性に目が行った。

 

なぜなら彼は「インド人」だから。

 

 

デリーを後にしてからというもの

周囲はすっかり

モンゴロイドののっぺり顔で

物静かなアジア人。

 

なんだか寂しく物足りなく

やっぱりスパイスが足りないスープみたいな

インドの一瞬で五感をどっかに扇動しちまうみたいな

「刺激物」を欲する自分がいた。

 

 

そんなんで

単に「インド人」というだけでも

私はこうふんした。

テンションが上がった。

 

 

 インド人とおしゃべり

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そして勿論話しかけた。

 

私「ケーセーホ?(お元気ですか?)」

印「イエス、ファイン。(元気だよ)

  ウェア アーユー フロム?(どこから来たの?)」

私「メ― アッサム セー(アッサムから来たよ)」

*アッサムはインド北東部のモンゴロイド系民族が多い僻地

印「アチャチャ(そうなんだ)」

 

みたいに、例の如く、

つたないヒンディー語で軽く嘘つく。(御愛嬌)

 

彼はムンバイ近郊の町出身で

ソフトウェア開発ビジネスのマネージャー業務として

10日間中国上海で仕事をして今日帰るのだそう。

 

でも、この後「デリー➡ムンバイ」の便があるから

飛行機の遅延をかなり気にしていて、そわそわしている感じだったけど

会話を始めるとさすが話し好きのインド人らしく

一瞬でそわそわもどっかに飛んでいった様子。

 

 

私「大変だね、でもこの航空会社はいつも遅れるんだよ。」

印「そうなの?どうして?」

私「うーーん、多分こういうの習慣なんだよ。」

印「どうして?」

私「中国人はのんびり屋なんじゃない?」

印「なんで?」

私「・・・・・・」

印「・・・・・・」(私の目をジー―――とみて回答待つ。)

 

ああ、この質問攻め。

インド人のねっちねちのしつこいまでの好奇心。

「胸を張って生きよう」と思わせてくれる程に彼らは無垢で高潔な精神だ。

 

*先日、私はインド人ほめ過ぎと言われた。。

 

 

懐かしくて、うれしくて会話は弾む。

 

私「日本は行ったことある?」

印「あるよ!京都、大阪!」

私「どうだった?」

印「アメィジング!!(素晴らしいい!!)」

私「何が?」

印「カンフーがすごい!」

 

笑!日本じゃないし!

 

話題を変えた。

 

私「でも、日本はいいことばかりじゃないよ。日本は過去10年間、自殺者は毎年3万人だよ。」

 

私はこの事実をあらゆる機会に人々に話した。

外国人に日本の良い面だけを伝えてお国の宣伝みたいなことはしたくない。

 むしろ

現代社会の大車輪の「歪み」が生み出した

我が国の光当たらぬ陰に追いやられた

大量の 社会的、経済的そして精神的「弱者」たちを

どうか知って欲しい。

 

 

この世界は間違っていると誰でもいいから伝えたい。

 

同じ轍を踏まないで反面教師にして欲しい。

 

そして、いち日本人から世界に向けてのSOSでもある。

 

 

 

彼は私の話に真剣に耳を傾けてくれた。

 

そして

「なぜ日本はそんなに自殺が多いのか」

ということについて色々と意見を交わしたのだが、

その中で彼と交わした

「家族との関わり方」についての話をすこし。

 

家族との関わり方

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私「私は今東京で暮らしてるよ」

印「誰と一緒に?」

私「一人だよ」

印「え?兄弟や家族は?」

私「いや、両親は別の地域で暮らしてて、兄二人は結婚して家を出てそれぞれの家庭を持っているよ。」

印「どうして?どうして一緒に暮らさないの?」

どうしてなんだろう。よくわからない。

私「私は東京で仕事が見つかったからかな。兄はもう結婚したし仕事があるからかな。。」

一緒に暮らさない正当な理由が見つからないんだろうか?

 

印「じゃあ、君の両親は二人で暮らして年を取っていくんだよね?もし、両親が介護が必要になったらどうするの?」

ドキッとした。考えたくなくてほったらかしにしていたから。

 

私「うーん、その時は私か誰か兄弟が家に戻ると思うけど。。」

印「でも、どうして日本人はみんな両親を捨てて、自分たちの家を新しく作ったりして外に出ていってしまうの?」

「捨てる(Throw)」という言葉を食らったんだ。

 

印「以前、僕が会った日本人も皆、20歳前後で家から出て個人個人の家をもって、自分の両親は年を取ったら施設(老人ホーム)に入れると聞いたよ。どうしてなの??」

私「・・・・・・。うーーん。両親がいる実家から出て自分で生計を立てるのが、自立の一つのステータスとして世の中で認識されているのかなあ。そうしなければ精神的に成熟しないような気がする。そんな雰囲気があるよ社会に。」

家庭の事について今まで一度も真剣に思考を巡らせたことが無い自分を冷酷に思って恥じた。

 

印「インドではここが日本と大きく違う所だと思うよ。

僕らは、自分を育て、美味しい料理をくれ、いい教育を受けさせ、たくさんの幸せをくれた両親を捨てたりは決してしない。たとえ仲が良くなかったとしてもね。

今、自分はお金とを稼ぐことができるから両親にその恩返しができる。

今度は僕たちから両親にたくさんの幸せをあげる番だし、自分の子供たちにも両親がくれたようなたくさんの幸せを授ける責任がある。

私「うん。」

当然何にも言えない。

 

印「でもこれは重荷じゃない。これが本当に幸せなんだ。家族と一緒に幸せを感じられる時が、1番満たされていて生きていてよかったと思えるよ。」

私「うん。」

印「ケーキは一人で食べるよりみんなで食べたほうがおいしいから分け合うんだ。」

 

 

偽善者

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私はいつも

「世の為に自分を役立てたい」

「人の幸せを心から願えるようになりたい」

などと言っている・・・・

 

全く、足元が見えてない。

灯台下暗しもいいとこだ。

 

自分の両親や家族の「幸せ」をさし置いて

なにが「世界平和」だ。

 

身近な人の存在をすっ飛ばし家庭の平和も無いのに

世界だなんて笑ってしまうだろう。

 

結局のところ私は単に

「他人の幸せを願う」という

高尚な精神に憧れていただけだったのか?

 

「いい人」に思われたいという自己顕示欲?

 

「人の為に自分の人生を使う」という自己犠牲は同情を誘うため?

 

 

だとしたら。

 

自分はあの頃の「個人主義者」から

根本的に全く変わっていない。

 

 

何年もの月日をかけて必死に苦しみもがいたはずなのに

全く成長してない自分を見つけてしまった時ほど

深い虚無感に襲われることはない。

 

傲慢。

だから自殺思考に陥ったのかもしれない。

 

 全く食えねえ奴だ自分は。。

 

私のように

善意の奥に自己犠牲精神を隠した人々の集まりは

一見すると「みんなの為といって」

団結しているように見える。

 

でも

その一人一人が隣の友人を出しおいて

成功してやろう。

こいつみたいにはならないようにしよう。

と胸の内で煮えたぎらせている。

 

 

そういう集団は

ひたすら

短期的・一時的な

欲や感情に流され

 

長期的・全体的な幸福や本質を

ことごとく見落とす。

 

そして一歩、歯車が噛み合わなくなると

全体が仲間割れして共倒れし得る危険な集団だ。

 

 

他人の幸せを心から喜べるのか

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現代人で

「公(他人)の幸せを自分の幸せに感じた経験がある人」

がどれだけいるんだろうか。

 

自分が出演していなくても

劇全体が仲間によって素晴らしいものになった時

本当に心から喜べるか。

 

見返りを求めない親切や献身さを

信じることが出来るのか。

 

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                              映画「モモ」より

↑こんな風に

「みんなが幸せな時に自分も幸せを感ずる」

 

つまり「公益の喜び」。

 

この時に働く脳って

 

「ワタクシの幸せ」の時に働く脳と

違うんじゃないかと思う。

 

 

 

本当の持続的な「幸せ」ってのは

 

自分のコップに水を注いでいくように

 

 うまいモン食べた、恋人できた、先生に褒められた、新しい服買った、昇給した

 

みたいな 個人を何かで満たしていく過程で感じられるもんじゃないと思う。

 

 *ここでは生理的欲求が満たされた時に感じるような幸せでない

もっと高次元の人間独自の精神的な幸せのようなものを指す。

本当に幸せになれる時

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金木犀の香りに気づく

 

人々の安らかな生の営みを愛おしく思う

 

この世に生まれたことに感謝する

 

 

 

いつもそこにあるんだけど

 

当たり前にあるから気付きにくくて

 

無関係だと思っていたそれが

 

実は自分に密接に関係している。

 

 

 

「わたし」という存在は個体では存在しえない

身も心も因縁によってできているものであるから、この身には実体はない。この身は因縁の集まりであり、だから無常なものである。

 

仏教聖典」(仏教道教会刊) 第二章第一節 「変わりゆくものには実体がない」より

因縁=ゆかりや関係性の意。

 

私たちが普段何気なく認めている「私」は本当は

それ個自体ではつかみどころがないもので

外的要因や周囲との関係性に依ってしか認識できない。

というのは仏陀の説かれた真理。

 

自分の畑で美味しい野菜を作りたいなら

いい水が必要で

いい水は川の上流の環境が良くなければいけない

いい土が必要で

いい土はその周囲の木々や水はけや動物など環境全体が良くなければいけない

 

「わたし」が幸せになろうと思うのなら

「わたし」の周囲の人々が幸せであるかに配慮するのは当然なんだ

 

 

私たちはこの世のあらゆるバランスの中で生きている

一つのピースに過ぎないから。

 

 

 

 この当たり前の「幸福論」は実は教育による気がする。

 

教育の目的は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、心身ともに健康な国民の育成を期すること。

 

文科省教育基本法」より

 

人格の完成という所だけに注目するなら、

関係性を理解するときに気付くだろう。

 「私は不完全だという認識が人間を完成させることなのだ」

と。

人間は動物のように生きていれば幸せになれるとは思わない。

 

眉毛がそのいい例だ。

眉毛の役割は汗が目に入らないようにする点もあるが

「人の表情に明らかに大きな変化を加えるという点」から

ヒトだけに著しく発達したと考えられる。

 

私達は否定しようが何をしようが「社会的生物」なんだ。

表情から情報伝達し人と関わるようになっている。

 

 

 

 

「社会的幸せ」

 

これはもはやいつもの「幸せ」という言葉の表す感情では無い。

 

大乗仏教的幸福」とでもいうのか。

 

頭が整理できない。思考が散らかりっぱなしで綴ってごめん。

*日本に来てから文章が書けない。

 

つづく

 

カオスの先の悟り

南インドから飛行機で一気にデリーにスキップする。

 

わずか2時間程でマイソールの気のいいおっちゃん達が遥か遠くに。

 

私はなんだか少し感傷的だけど

 

彼らは私がいても、いなくても

彼らの生活を変わらず今まで通り続けるんだ。

 

デリー空港

深夜1時に

世界1のサービス認定空港という

目を疑う看板だらけのデリー空港に到着。

 

デリーに着くと

覚えたてのヒンディー語

あんまり使ってみようという気にならない。

 

私自身北インドでは警戒しているし

実際、毎度デリー空港のスタッフからは

ひどくぶっきら棒に適当な情報を教えられるという

日本では絶対に味わえない不快なサービスを受ける

あり難い経験をさせて頂いている。

 

ロビーで荷物と自分の腕を紐でくくり付けて朝まで5時間ほど仮眠。

 

朝6時過ぎに市街に出るために

空港バスに飛び乗る。

 

流れる風景の中での瞑想感覚

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地下鉄のメトロは安くて快適で速いのだけれど

私は

少し高くて汚くて遅いバスを選んだ。

 

「イヤホンで音楽を聞きながら

町の風景を窓越しに流し見する時以上に

思索に適した環境ってないんじゃないか」

と思うほど

この一時は思考が広く深くを巡り、明朗になる。

 

瞑想した時のような

一種のトランス状態みたいなものを感じる。

 

 なぜだろう。

 

そういえば以前興味深い方法の「瞑想」を聞いた。

 

Active Meditation(活動的瞑想)という。

 

話によると、

目を開けながらくるくると回り続けたり、

同じ動作をひたすら15分間繰り返すというもの。

 

これは、常に自分の視界や外部環境を変化させ続けることで

逆に動きやすくて定まらない「心」の定点を見出すというものらしい。

 

習得過程の男女差傾向

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例えば大学時こんな話を聞いた。

5歳の男の子と女の子にバランスボード(板の下にボール又は円柱のポールを置き、板の上でバランスを取るようなもの)をやらせる。

 

そうすると習得していく過程で男女差があるらしい。

 

女の子は板の上で「動かず」大きくバランスを崩すことなく

その状態を保つことで習得していく。

男の子は板の上で「動く」ことで派手に転んだりして失敗を重ねながら

徐々にそのバランスの核を見つけて習得していく。

 

女の子は「動かない」ことで 男の子は「動く」ことで

解決策を模索するという。(あくまで傾向)

 

たしかに中学時を思い出すと

女子は先生に「怒られない」ように最初から「正」を自分なりに見定め

男子は先生に「怒られる」ことで徐々に「正」を見出していく。

*ここでの「正」は単に先生個人にとっての「正」。先生の嗜好みたいなもの。

 

最初に木で芯を作って周囲に土などを重ねていく塑像と

元々具体的な形のない木や石を削り落としていき形作る彫刻

みたいなもんなのか。

 

あえて動く(流れる)ことと瞑想

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元に戻すと

この「活動的瞑想」というのは

「男子的瞑想」じゃないのかと思う。

 

1点に留まることを知らない暴れ馬のような

私達の「心」。

 

本来の瞑想イメージは

「お坊さんが静かに心を研ぎ澄まして1点から心がぶれないよう猛烈に集中する」

という日本では「座禅」のような感じ。

 

この方法は非常にレベルが高く

本当に心を留まらせるのには

半世紀かかるとヨガの先生が言っていた。

 

確かに暴れ馬に紐をくくりつけて抑えつけようとするのは

相当な労力がかかるだろうし、

第一に私達一般人には持続できる気がしない。

 

そのオルタナティブ法として

 

ひっきり無しに動き続ける周囲の風景や状況をあえて作り

「心」を動かし動かしまくることで

 

その中で唯一動かない「核」を見定めることができる

 

或いは動きすぎる世界の中で「心」が動く余地を与えない。

 

これは以前のブログ(「ヨガを学ぼう」と思った理由⑴ - 元センセー 日記)

でも書いた。

ヨガの先生の言葉

瞑想というのは一点に集中力を留めるというより

周囲の流れ続ける世界に抗うことなく

どっしりと安定して身を委ねて全てを受け入れる

という風に心を開き切ることだと思う

 

結局、

「流れる」状態を知らない(経験しない)限りは

「流れない」状態にすることなどは無理なんだ

という考えにたどり着く。

 

インドで「悟り」が生まれたわけ

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話を起点に戻す。

 

 

おびただしい数の攻撃的な車の流れ。

インド。

常時発せられる叫びにも似た激しく自己主張するクラクションの音。

インド。

鉄の錆と油とそこらじゅうに漂うゴミと熱気を持った人間の汗がぐっちゃになった受け入れがたい異臭。

インド。

そして湿気を含んだひどい暑さが逃げる場所は無く、コンクリートで更に熱せられて完全に頭をノックアウトさせる。

インド。

 

まさに、カオス

 

ほんの数秒で五感をめちゃくちゃにされる感覚は

暫く見なかったテレビを1か月ぶり点けた時に襲われる

あの一方的で、意味不明で、不快な感覚に似ているかもしれない。

 

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ここは

自分が動かずとも

常に「流れる」状態だ。

 

だから、寧ろ、インドで

 

「瞑想」が「YOGA」が「仏教」が生まれたのか?

 

「悟り」という思想が生まれたのか?

 

 

自分の「心」以外に清閑さの拠り所がないのか?

 

 

インド人は何考えているんだろう。。

 

 

つづく