教育がおかしいと思った理由:「いい子」がたどり着いたのは「絶望感」だけ
私はおそらく、かなり幸せな、そして模範的な生徒として小中学校生活を送った。
クラスの中ではみんな仲良くがモットーで友達の和を重視してたし、宿題も勉強もわりと頑張っていただろうし、何より、先生、そして学校が好きだった。
学校に反発したことも、先生の言っていることに疑問を持ったこともなかった。
つまり
現代の義務教育を存分に受け、すくすくと自他ともに「楽しそう」と認めるような、健全な成長をしていった。
はず。なのに。
▶ハタチの私は「死にたい」ことだけ
成人を迎えた20歳のわたしの心の中にはかつての活発、明るく、明朗で好奇心旺盛で誰とも仲良くなどという気持ちはみじんもなく、すっかり消えていた。
そして、ただ一つ「死にたい」という気持ちだけ。
大した理由じゃない。
全てに絶望していた。
生きるのが面倒で仕方がなかった。
いわゆる「虚無」が私の心の身体のすべてを覆っていた。
なぜ?
分からない。
高校受験も、戦争と言われてる大学受験もなんだかんだでそこそこ楽しく、そこそこ頑張り、希望大学にはいれた。
なぜ?
強いて言うなら、大学1年次の2月にぶつかったそんなに大きくもない壁が自分の中の「何か」をプッツンと音を立てて切ってしまったようだ。
「なぜ生きねばいけない?」とか「なぜ死んじゃだめなの?」という疑問ばかりが頭の中をぐるぐるして、そんなこんなしていると、すべてが無意味で、小学校以来続けてきた卓球にも冷め切ってしまった。
これは、思春期を過ぎた若者が通る、社会とのハザマで迎える葛藤だろうし、モラトリアムだろうし、大人になるための通過儀礼みたいなもの。
なのだろうか。
一日中部屋にこもり、スマホで「自殺方法」とか、「自殺した芸能人」とか調べアサって、その日が終わる。1日のなんと長いことか。人生のなんて空しく長いことか。
自分は役に立たない→立てない→何もできない→消えたい。がぐるぐるぐるぐる
軽い摂食障害も相まって最悪だった。
結局、大学の精神科とか相談室にも数回足を運んだが、何にも変わらなかった。
そのまま、異様に重たい身体と心をひきずって卒業の単位だけをとって、にげるように茨城をあとにした。
▶かつての友人の精神病、恩師の自殺未遂
最近、帰省するたびに地元の友人にわざわざ頻繁に会うようにしている。
すっかり変わってしまった自分の昔の面影を探したかったり、なにかの手掛かりが欲しかったのか。いや、もっと単純に懐かしいからかも。
でも、とてもショックなことがつづく。
幼馴染の友人たちのわりと多くが、精神的な問題を抱えて、見るからに不幸せだった。
中学時代の恩師(パワフルで、正義感があり、私の個性も認めてくれた)が、自殺未遂をして救急車で運ばれたらしいのだ。
もう一人のとても魅力的だった音楽の恩師(その人のおかげでいつも私は鼻歌を歌う癖がついた。たぶん。)も、精神病を患い、挙句、あらぬ疑いをかけられて職を失い、今は運送業でせいかつをしているということ。
▶現代教育の賜物である、深刻で多すぎる社会問題
個々人の今抱えている問題(性格、個人の能力、不況、政治、社会のニーズとか)
を突き詰めていけば、きっと一人一人、「こういう理由で病みました。」とかわかるはず。
でも、私は現代の闇の共通項を自分なりに見つけたい。
それはたぶん、「教育」。
20代前半の若者のほとんどは
その人生の半分以上を学校で過ごす。
そして、学校から社会という海に投げ出された時に私たちは驚くほど何もできない。
そして、日本社会は私たち(優良な元生徒たち)を大歓迎する。
私たちは会社に多少の問題を感じても、今までのような居心地の良さを感じる。
それは、言われたことだけを真面目にこなす。
頑張っているような姿勢を周りにたくさん見せる。
時間を守り過ぎる。
文句を言わないで、従う。みたいなこと。
そして、社会は私たちを食いつぶす。
都内で1日何回、ありえない理由で電車が止まることか。
格差社会の犠牲になった人々が都庁の前を浮遊して、その間を西洋化の象徴であるネ クタイスーツに身を固めた(というか身を隠した)顔の無い人が速足で通っていく。
不安と怒りを限界までため込んだ眼はくすんでいて、光がない。(実際そう。遠くを見たり、上を向くと目にハイライトが入るんだろうけど、上瞼が落 ちて下を向いているとまるで、まさに死んだ鯉の眼になる。)
▶︎どうして?!
なぜだろう。
私は学校生活を存分に謳歌し、青春し、教師、両親、社会の期待する像になった。
そして絶望した。
現代の教育は笑える。
茶番。
茶番にもなりえない、おやじギャグみたい。
学校は間違っている。