元センセー 日記

元都内公立小学校教師、現在は色んな考えや世界に触れて変わっていく自分とその周囲を観察するのが楽しい.

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希望とは

何かの度にいつも口にする言葉がある。

 

「希望さえあれば」

 

希望さえあれば人は生きていける

希望がないと人はどんな状況であっても死ねる

 

とつくづく思う。

 

◆希望とは何なんだろうか?

 

希望は思うに

「明日への、将来への肯定的な想像力」

 

たかが妄想だなんてバカにしてはいけない。

この強力なプラスの妄想は

私達の世界を変える。

人々の表情を変える。

腰を上げて歩き出そうとする為の原動力になる。

 

どんな困難な状況でも

どんな問題が起きても

 

 

「希望を持ち続けることが大切だ」

たかだか27才の青二才の小生だけど胸を張って言っておく。

 

 

「いや違う、問題解決のためには精神論・感情論では不十分だ。」

 

「問題把握力、解決力、発想力、自分の出来ない仕事の援助を請う為のコミュニケーション力が無ければ根源的な解決にならない。二の舞を踏むだけだ。」

と言う人がいるかもしれない。

 

 

その通りだ。

不十分であるに決まっている。

肯定的想像である希望だけでは

飯は食えないし仕事は終わらない。

 

でも

希望なしには人は何も出来ない。

希望なしには問題を把握する力を付ける以前に解決を諦める。

 

 

トンネルの先に光があると分かるからそこに向かって、まず歩き出せる。

 

いくらクマ撃退力がレベル100のおっちゃんがいたとしても、「倒せるかも」という希望が無かったらクマが現れる前に戦闘を辞めるだろうし、戦ったとしても倒せるわけないし、そもそも希望を持たないおっちゃんが撃退する為の修行を始められない。

 *この例えはひどい。。。

 

希望はそこに僅かな可能性を見出す想像力?

 

 

私達が「今の状態を維持していたい」という

慣性の法則にわざわざ抗って

重たい身体と気持ちを鼓舞して仕事に行くのも

こたつから出て冷たい便座に腰を下ろすのも

 

「その先にいいこと(≒幸せ)があるんだ」と

肯定的な想像力を働かせて将来に「希望」を持てているからじゃないの?

 

それとも欲を満たしたいという欲求に駆り立てられているだけ?

 

それならば

「馬の顔前にニンジンを吊る下げて走らせるように外部からの賞罰などによってもたらせる外発的動機づけはコントロールされやすいし、悪いように利用され得る。」

「そもそも行動そのものでなく賞罰が目的だから、その過程が効率的な行動にならないし、楽しくない」と

言う人がいるかもしれない。いないかも。

 

いやもう私は何を言っているんだ。

滅茶苦茶過ぎる。

 

 

でも

うるさい。

うるさい。

 

いいんだそんなこと。

細かいこと言うな。

 

 

私はただ生きて欲しいだけだ。

 

人々がどんな状況であっても

 

自分を貶めず

自分の命を投げ出さず

自分の手で全てを終わらせず

 

無知でも

無能でも

無力でも

 

なんでも

生きてさえいれば

と思っているだけだから。

 

 

 

今の私は

たとえ預金残高が一桁を切り、仕事も見つからず、

自分の力不足を目の当たりにしてあわや絶望しかけても

 

生きていける。

 

「大丈夫、何とかなるさ」とあたしに言ってやるよ。

 

希望さえあれば生きていける。

 

 

充分な給与をもらい、住む所があり

自分を心から愛してくれる人々に囲まれ

周囲が羨むような状況でも

 

希望が無いと

 

虚無感に苛まれ

空しい、何をしても意味がないと。

何になるのだと。やっても変わらないと。

どうせまた同じ繰り返しだと。

 そうすると

 

死ぬよ

 

 

 死ぬな

 

 死ぬなよ

 

 

 

希望とは何なんだろうか?

夢と同じようなものなのか?

 

ここまで書いて自分でもよく分からなくなって来た。

 

やっぱり

ごめんなさいね。

 

希望学というのが東京大学にあるらしい。

 

つづく

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