元センセー 日記

元都内公立小学校教師、現在は色んな考えや世界に触れて変わっていく自分とその周囲を観察するのが楽しい!

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しあわせの地ラダックで感じたアマレの叫び

あなたの知らないところにいろいろな人生がある
あなたの人生がかけがえのないように
あなたの知らない人生もまたかけがえがない
人を愛するということは知らない人生を知るということだ

  

灰谷健次郎「ひとりぼっちの動物園」

 

 

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年下の面倒を見るのは年上の当然の行い。全寮寄宿舎でよく見られる風景だ。(2015年5月)

 

知らない人の人生を想う

 

というのが「優しさ」

だと教えてくれたのは著名な児童文学作家の「灰谷健次郎」さん。

 

◆ラダック農村で感じること

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大畑が一面に広がるカルギル区の仏教村ワカ村。(2015年6月)

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洞窟の中で見つけたのは自然葬が主流のラダックで唯一の弔いの証でもある「ツァツァ」を見つけた。スキュルブーチャン村。(2015年9月) 

 

話が変わるが。

 

 ラダック(インド北部)、特に奥地のマネー経済の影響が少なく自給率の高い村、つまり「美しい村」といわれているところにホームステイしているといつも感じることがある。

 

 

それは「自責の念」。

 

主に観光客が訪れる夏季は現地ラダックでは農繁期。

1年分の食料を約4か月間で作り保管貯蓄する最高に多忙な4か月なのだ。

 

そんな中、自分が金を払っているからとぬくぬくと散歩をしたり空を眺めたりして過ごし、3食用意してもらうのは本当に忍びない。

まったくバカンス気分にはなれない。

 

現地の人々といくら親しくなったとしても彼らとの生活観、経済観、世界観には温度差を感じざるを得ない。当たり前なのだが。

旅人というのはいつもこういった部外者感、疎外感というのも旅の福と同時に背負うものなのだろうか。私は旅人になり切れない旅人憧憬人なのだが。

 

 

特にラダック女性の働きぶりは尋常でない。

休む間もない。

汗水たらして老体に鞭打っての肉体労働の日々が100日以上続く。

 

 

しあわせの地と言われるラダックだが、昨年のラダックではあまり「幸せ」感を感じられなかった。

 

冬の農閑期はまた違う印象なのか。

 

 

◆不安や疑問

 

 

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セシューと言われる仏教儀式の後、大麦で作られた模型?を自然にまき終わったばかりのボッドカルブ村のアマレ。(2015年8月)

 

彼らの尊い気高い志。

尊厳と理想の社会。

 

卑しい人間になってはいけない。

落ちぶれてはいけない。

 

 

私はラダックにいていつも

「自分は怠け者だ」と自分を咎める。

 

「何かしなければ」

「役に立たなきゃ」

という焦りがあった。

 

 

ラダックの人々みんなが愛おしい。

澄んだ熱い眼。

人に優しく自分に厳しい民族。

それを必死で守ろうとしているようにも見える

 

彼らは昔からこうだったんだろうか。

何の狭間にいるんだろう。

 

 

もっと、ゆったりとした

時間の流れだったんじゃないか。

 

もみくちゃになって働き過ぎなければいけないように仕向けられたのか。

 

◆僻村リンシェッド村でのアマレ(お母さん)の叫び

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日向で乾燥豆のごみ取りをするアマレ。マンギュー村。(2015年11月)

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農閑期の冬は糸紬や織物をして過ごすのがラダックアマレの生活スタイルらしい。(2015年11月)

 

ラダック最奥村の一つ、リンシェッド村はザンスカールに行く途中にある村で、この村まで続く道路は現時点(2016年9月)で無い。

外部物資などが届きにくいが、伝統生活が主都近郊より保持されやすい美しい村でもある。

 

そんなリンシェッド村を2016年9月訪れた際、彼らの持続可能な生活スタイルに出会い感銘を受けた。

そして同時に悲しい思いをした。

 

 

ホームステイした家にはロバや羊ヤギ、牛、ヤクなどの動物がいた。

大きな大麦の畑がいくつもあった。

秋にも手製の温室ハウスで野菜が採れた。

薪や動物の糞を燃料に火を起こし、

一から料理を作ってくれた。

ほぼ自給自足の生活だ。

 

今の若者が憧れる田舎ライフそのものがそこにあった。

オーガニックライフというのか。

 

家のアマレ(お母さん)は歳が50過ぎくらいだが、強い日光と乾燥のせいか、老婆のように深く長い皺が刻み込まれていたが、アマレはいつも顔を皺くちゃにしてニコニコ笑い、おいしいバター茶を勧めてくれる根っからの明るさを持っているような魅力的なアマレだった。

 

ただ、アマレはいつも「肩が痛い痛い」と言ってて、よく自分で自分の腕を擦っていた。

 

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リンシェッド村に行く途中にあるラ(峠)でなびく祈祷旗タルチョ。(2016年9月)

 

そんなある日、私が昼ご飯を作ってアマレと二人で食べている時の事。

 

私は「子どもは何人いるんですか?」、「みんななにしてるの?どこにいるの?」と尋ねアマレと話しをしていた。

 

朝6時から畑に出っぱなしで12時に家に戻り、お茶をのんで一息ついたアマレが突然、涙を流して私に話し始めた。

 

「子供は9人いる。みんな大きくなった。でも、みんなレー(主都)や他の地域に行ってしまって、今家には誰もいない。夫と自分だけ。でも畑もたくさんあるし、動物もいる。だから(尼さんになった)娘が今畑の収穫の手伝いしてくれているけど、もしいなかったら、仕事が多すぎて私は死んでるだろう。」

あまりの予期せぬ答えに私は動揺してしまった。

 

 

 

しばし、沈黙が続いた。

 

 

2,3分経って、

「アマレはどうすれば幸せになれるの?」

と聞いた。

 

アマレはおもむろに口を開くと

「子供たちにはなるべくいい教育を受けてもらって、いい仕事を取ってもらって、お金をたくさん稼いでほしい。そうすれば少しは生活が楽になるだろうから。道路も通ってくれれば他の村に行くのが楽になる。」

 

 

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手が届きそうなほどに空が濃く近いリンシェド村。(2016年9月)

 

お金が自分の生活を助けてくれるんだ。

便利な機械や製品が欲しいんだ。

彼らはまさに発展を望んでいるんだ。

 

 

ラダックの良さは何なんだろうか。

 

人々が先祖代々から受け継いだのは伝統や持続可能な生活ではなくて

単に大きな畑と世話のかかる動物達だけだと思っているとしたら。

 

この生活が単調で過酷な毎日の繰り返しだけなのだと思っているとしたら。

 

ラダックを桃源郷と呼ぶのはいつも外部の人間だ。

 

 

アマレと話した後、私が出来る事などこれっぽちも見つからなくて

「申し訳ないけど、どうしたらいいのか分からない」

と途方に暮れるだけだった。

 

翌日アバレ(お父さん)と羊の放牧に山にピクニックにいくつもりだったが、大した役にも立たなかっただろうがアマレの手伝いをし、少しだけ肩のマッサージをしてあげた。

 

これも、自分のやりきれなさのへの懺悔だろうけど。

 

◆お金は苦しみを減らしてくれる?

 

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レーから15㎞と都心近郊の村シェーでホームステイした家は

お金がそれなりに入ってくる仕組みを持っている家庭だった。

 

確かに、ここのアマレも働き者だが、村のアマレに比べて格段に仕事量が少なかった。

 

朝ごはんをまでは、掃き掃除、乳しぼり、牛を牧草地に連れていく、皿洗いなど忙しいが、男達がご飯を食べて、外に仕事に行くと、居間で暫し寝っ転がってTVなど見ていたりする。

日中は隣のおばちゃんが家に来てバター茶など啜りながらおしゃべりしている。

 

 

人の幸せを他人が決めることは出来ない。

 

でも、苦しみに共感することがせめて許されるのなら、ラダック奥地の高自給率の美しい村に住む、優しくて気高い人々の、めったに表に現れないだろうという密かな「心の叫び」みたいなもんに寄り添いたいと思った。

 

この叫び自体が私の勘違いかもしれない。

深く考えすぎているのかも。

 

 

でも、あの深い皺で顔をくちゃくちゃにして笑う顔のお母さんが

弱音を吐きうつむいた時感じた自分のやりきれなさは決して忘れられない。

 

 

どうにか楽をさせてあげたい。

苦しみを少しでも減らしてやりたいのだが、仕事量を減らせばいだけなのだろうか。

それだけでは済まないような、わざわざ苦しい状況に追いやられたような。

 

 

その時やっぱり

「お金があれば・・・。」

という思いがよぎる。

 

お金とは何なんだろうか。

 

 

 

そしてやはり何が言いたいかわからない。

読んでくれた方ごめんなさい、ありがとう。

申し訳ないがつづく。