元センセー 日記

元都内公立小学校教師、現在は色んな考えや世界に触れて変わっていく自分とその周囲を観察するのが楽しい.

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インドで見つけた「つながり」② ~リトル・チベット「ラダック」にて~

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ラダック主都レーのナムギャルツェモゴンパ。真っ青な空とむき出しの岩肌という単純色に5色の祈祷旗タルチョが平和への祈りをのせてたなびく。(2014年8月)

 

 

次にラダックで見つけた「つながり」について。

前編はコチラ↓

インドで見つけた「つながり」① ~有機農園ナブダーニャにて~ - 元センセー 日記

 

 

◆自然、土と共に生きる

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村の羊ヤギを連れ高台にある草原地帯に放牧に出かける村人。リンシェッド村。(2016年9月)

 

ラダックで見つけた「つながり」。

 

まずはナブダーニャスタッフと同様に、「人間は自然の一部」そして「土と共に生きる」というラダックの人々の意識。

 

 

ラダックの人々は標高4000㍍近い高地で生活している。

また、ラダックの夏は4ヶ月間と短く、極端に乾燥した気候により栽培できる作物も時期も極限まで限られ、しかも1年の3分の2は氷点下20度の長く厳しい冬。

 

 

このような非常に厳しい環境の中で、なぜラダックの人々はあのようにまぶしい笑顔を見せることができるのか。

 

なぜ彼らはただでさえ足りない食料を、私たち客人におしげも無く分け与えてくれるのか?

 

 

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風を呼ぶといわれる口笛を吹きながら、風の力で豆と殻を分別する仕事。穏やかな時間が流れる。リンシェッド村。(2016年9月)

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圧巻の大自然を前にしたからこそ、彼らは自分の今に集中し生きていくことが出来るのではないか。リンシェッド村。(2016年9月)

 

 

それはおそらく、

彼らの「自然の恩恵の上で生きられている」という自負

それから、人間の死というものさえも自然の営みの一つとして捉え、

「変わりゆくものに捉われる執着心」を捨てることを日々実践しているからなのではないかと思う。

 

彼らは土から離れない。

徹底的に土と共に生きる。

 

私たちは土がなくなったら、酸素を供給してくれる植物がなくなったら、1日も生きられない。

 

お金は食えない。

私たちを本当に生かしてくれるのはこの大地。

 

そういう当たり前の生物の普遍性というのは本来忘れるはずがないのに、

なぜ私たちはここまで生き物をコンクリート固めにしてしまったんだろうか。

 

 

効率性を優先する直線ばかりの世界に生きるうちに、経済至上主義という流行り病にかかってしまったんではないだろうか。

 

 

◆人間たらしめるのは人と人とのつながり

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生まれた瞬間から子どもは、5歳のお兄さん、両親、家族、隣人、祖父母、誰からも無条件で世話され歓迎され、愛され、たくさんのスキンシップをとって育っていく。リクツェ村。(2016年6月)

 

もうひとつのラダックの「つながり」は、

人々の「人と人とのつながりの中で生きられている」という意識。

 

ラダックでは人々は助けられ、助けるという互助関係が生活面・精神面において当然のごとく成立している。

 人とのつながりをここまで密に、気持ち良く感じられる場所は世界中で他に無いのではと個人的に思っている。

 

ラダックという過酷な環境下では、家族で、親類で、地域で協力しなければ越冬できなかったからなのか。

 

仏教の利他的精神がそうさせるのだろうか。

 

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 チョッメと呼ばれるロウソクの炎は闇を明るくする光、つまり仏教的には「悟り」を意味している。へミス寺。(2016年8月)

 

彼らは助けられることで相手に「感謝」し、「安心」し、逆に相手を助けることで自分も「貢献」できていると実感する。

 

「感謝」「安心」「貢献」。

これらのうち1つでもあれば人は自殺できない。

うつ病にもならないはず。

 

 

◆まとめ:つながりのカギ

f:id:watashino-pc:20170529145710j:plain木材を抱え右手にマニ車、左手にタンガ(数珠)を持ち、読経しながら歩を進める老僧。平和の実践者とはこうも揺るぎないものかと畏敬の念を感じずにはいられなかった。(2016年8月)

 

つながりを理解するうえで忘れてはならないカギは

前述の「感謝・安心・貢献」、

これらは全て自発的、主体的な感情なのだということ。

 

これを感じるか否かは私たち次第。

 

いくら親友が毎日電話をくれても

家族が温かい笑顔で帰省を喜んでくれても

自分自身が感謝しなければ「つながり」は感じられない。

 

いくら医療保険をかけても

健康食を食べても

病気の恐怖に駆られ続けてしまうのは

自分の心が安心出来るだけの度量を持っていないから。

 

逆に、こんな無力な自分でも何かしらの形で「貢献」しているんだと実感できれば、それだけで途端に世界と「つながれる」んだと思う。

 

大切なことはベクトルの向きを「周囲→自分」から「自分→周囲」に変えることなんだと思う。

 

 

 

では、ナブダーニャを創ったヴァンダナ・シヴァさんの言葉をご紹介して終わりたい。

 

We are part of web of life ~私たちは命の織物の一部~

 

私たちが健康が同課は織物が健康かどうかにかかっている。自分の健康も幸せも他社に依存している

 

【予告篇】ヴァンダナ・シヴァの いのちの種を抱きしめて - YouTubeより

 

 

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 早朝のサスポール村。(2016年6月)

 

 

インドで見つけた「つながり」は2月11日で小石川見樹院で開催されたイベントでのトークを参考に書きました。関連団体をご紹介しておきますのでよろしければ覗いてみてください。

主催:NPO法人「たねと食とひと」Tanet(たねっと)

共催:NPO法人「ジュレー・ラダック」NPO法人ジュレー・ラダック

会場:「見樹院」 東京・小石川・見樹院

 

 

自由への旅はつづく