元センセー 日記

元都内公立小学校教師、現在は色んな考えや世界に触れて変わっていく自分とその周囲を観察するのが楽しい.

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人生初 死にかけた @蛭ヶ岳 前編

 

2017年度始まりの週末はラダックのゆるいメンツで丹沢の蛭ヶ岳などなど登山に行った。

 

1月のラダック新年会ロサールで久々に顔合わせしたメンバーで

「どっか山行きたいねー。」

という一言から始まり3ヶ月温めていた計画だ。

 

◆4月1日土 8:00丹沢山入山

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バス車中の様子 山に向かう車中で手回し発電機のテストをする。ちゃんと点灯する。しかし蓄電出来ないので常に回していないといけないのが傷だ。

 

 

私も含め山初級が三人に二人のベテランというパーティ。

 

不安はあったけど、上級者もいるし準備しっかりして割と楽しみにしてた。

 

 

土曜朝8時前から青根の林道から登山開始。

 

姫次という中間地点を通り1673メートルの頂上までは、昼休憩含めて6〜7時間ののんびり(らしい?登ったことないからわからない)プラン。

 

スタートから粉雪が穏やかにパラパラ。

 

綺麗だなぁ、こなゆきぃー♪

 

なんて歌って中間地点の姫次までは、もちろん寒さはあったけど割とエンジョイ。

 

◆中間麓 姫次からの単独グループ登山

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姫次での昼休憩は寒さのため止まっていることが出来ず10分足らずで出発する。

 

 

 

前には1組だけ登山者がいて、その人のつくるラッセルという道を私たちが続くようなかんじだった。

 

姫次から頂上の蛭ヶ岳山荘までは3.2㎞。

 

歩くのをやめると寒いので昼も軽食程度でまずは小屋に着くのを最優先にし、早々に出発。

 

ちなみにこのあたりからは、誰も人がいなくて、ラッセル、つまり道を自分で作りながら進むことになった。

 

先頭はウルトラランナー丹沢経験20回以上の佐藤良一さん。

 

次が経験ゼロ、手回し発電機持参のわたくし望月。

 

三番目がヒマラヤ出身強靭的な体力だが、すでに膝が痛い痛いと嘆いているSkarmaさん。

 

次がチベット民族大好きで中国語ぺらぺら黄色い声援のちあきさん。

 

そして、最後尾は、山小屋で働いている全信頼と背負う宮田さん。

 

この時既に13時頃。

 

雪はやまず、腿の付け根辺りまでズボ、ズボ沈む。

 

先頭の佐藤さんも大変だ。

 

そして、疲れたのかみんな口数が減る。

 

それでも、いつかは山小屋つくし、まだ危機感はなかった。

 

そうやって歩を進めて2時間くらい。

 

突如、先頭の佐藤さんが立ち止まる。

 

「印が見つからない」

 

え!?

 

その一瞬で私の脳裏によぎったのは

まさか、

 

「遭難」?!

 

 

◆印を見失う

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印のスズランテープは飛ばされたのか、見失ったのか。

 

 

そこから、数分間、道なのか、道じゃないのか定かでない雪道を歩き、不安で胸がはちきれそうだった。

 

「折り返して戻ることはできますか?」

「今からじゃ無理」

 

「方向わかりますか?」

「うん。こっち。」

 

今考えるとあの数分間が何時間にも感じられた。

 

 

 

「あれじゃない?」

その時、視力6くらあるであろうSkarmaさんが10メートルほど先の印を発見。

 

さすが。

 

胸をなでおろした。

 

粉雪はいつの間にか横風邪が吹いて小吹雪のようになっていた。

 

でも、道は見つけて安堵し命は心配無いと思った。

 

ちあきさんにも

「今だから言えるけど、さっきは死ぬかと思ったよぉ。」

と二人で顔を合わせた。

 

それから、看板が見えた。

 

残り1キロ。

 

時間はおそらく当初到着予定の16:30頃だった。

 

右手にオレンジ色の太陽の光が今日初めて見えた。

 

きれいだね。

 

とつかの間心から感じた。

 

これは太陽が沈む夕焼けだった。

これから闇が来るんだ。

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太陽の美しくも悲しい今日最後の光を私たちに浴びさせた。

 

◆余裕が消え背水の心地

 

手足は動き続けてるのに先から感覚がなくなるような寒さだった。

 

雪は降り続ける。

 

残り0.7キロの看板。

 

100メートルがなんでこんなにながいんだ、、、。

 

8時間くらいずっとランニングシューズでラッセルしていた佐藤さんだが、雪をかき分けてもかき分けても腰の高さから一気に腰までズボッと沈む雪の壁に、ラッセル交代。

 

唯一スノーシューズ装着の宮田さんが先頭をいく。

 

私はその後に続こうとしたのだが、ズボっと沈むので全く前に進めない。

 

やばい!むり!いけないよ!

 

ほんとにダメだ!

 

すると、後ろにいたちあきさんが

私が行くよ!っと、

雪にダイブ!

 

ほふく前進しながらスノーシューズの後の沈むズボズボ道を作ってくれた。

 

底力を見た。

 

勇気をもらった。

 

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みんな唸りながらもがいてももがいてもなかなか進まない雪沼をそれでも行かないわけにはいかない、という気概だけで進んでいた。

 

残り400メートルだよ!

 

宮田さんが言った。

 

でも、まだ、そんなにあるのか、、、。

 

あたりはすっかり暗くなった。

 

おもむろに

頭にヘッドランプをつける。

 

ああ、とうとう、こうなってしまった。。

 

もう、目の前しか見えない。

 

前が見えない。

 

寒い。

 

怖い。

 

死ぬかも。

 

死にたく無い。

 

会社の人の助言が頭をよぎる。

 

「山をなめちゃいかんよ」

 

「雪降るよ。山嫌いになるよ」

 

「大好きなインドいけなくなるよ!」

 

 

 

 

本日4月1日、神奈川県相模原市の丹沢で20代から50代までの五人の男女が蛭ヶ岳で遭難しました。4月の丹沢では観測史上初の大雪を記録。いずれも、仕事をしていたりしてなかったり日本人じゃなかったり接点が、見当たりませんが唯一共通点はラダックに親交がある、、、、、、、。

 

なんてニュースがずっと頭を流れていた。

 

私の背中のラジオからは18:00の時報が聞こえた。

 

後編へつづく