インドで見つけた「つながり」① ~有機農園ナブダーニャにて~
突然ですが、皆さんはどんな時に人との「つながり」を感じますか?
友人とコーヒー片手に積もる話をした時?
誕生日に世界中の友人からFacebookメッセージをもらった時?
長年連絡が絶えた友人から電話があった時?
それとも、逆に、お金を払った時に「つながり」を感じることができるか?
◆孤独感にさいなまれていた私とインドの出会い
なぜこんな話をするか。
実は(別に実はでもないですが)以前の私は「つながり」というものを心から実感したことがあまりなかった。
皆さんも経験はないだろうか。
何人かの友人と楽しく笑いあっている。
でもふと我に返ったその時、強い孤独を感じる。
家族や恋人など非常に近い関係の人と一緒にいるときでさえもそういう虚しさを感じることがたびたびあった。
なぜか。
その時の私は全くわからなかった。
そんなうつうつとした生活をしていた私だったが、2014年に転機が訪れる。
玄奘三蔵が仏典を求め天竺と称し目指した「インド」。
デリーにあるレッドフォート(2015年撮影)
偶然インドに足を踏み入れた私はそこで非常に大きなインスピレーションを得ることになる。
生まれてはじめて(といってもたかだか30年に満たないが)「これが本当
のつながりじゃないか?」と思えるコトを見つけたように感じた。
◆ナブダーニャ農園で見つけた「つながり」
ナブダーニャの図書館の壁絵「our land our seed我が土地、我が種」の文字。(2016年5月)
インド北部ウッタラ・カント州の都市デラドゥーンの郊外に、マンゴー園に囲まれた大きな有機農園がひっそりと身を構えている。
そこがナブダーニャ農園。ナブダーニャというのは9つの種という意味。
ナブダーニャでは緑の革命以後にインドで起きた農業問題(一時的な豊作後の不作、殺虫剤などの化学薬品大量投入による健康被害、農民大量自殺などなど)に取り組み、外国の多国籍大企業相手に真っ向から「NO」を突き付けている非常に先駆的で力強い国際的にも著名な団体だ。
ナブダーニャ農園の代表であるヴァンダナ・シヴァ氏は多数の著書もあり、かつインド国内だけでなく海外でも多くの講演を行う活動家で、そのパワフルな言論が印象的な方だ。
そのため、私の農園のイメージは完全に
「ヴァンダナさん!」と
彼女の始めた主活動である
「シードバンク(種子銀行)」
の二つに終焉していた。
数千以上もの種子を保管するシードバンクは農園の端で見つけることができる。シードバンクは上からぶら下がっている種の右側の部屋。(2016年5月)
初めて農園に訪れた際は、
「なぜ種子の保存だけにこんな大きな農園を作る必要があるのか?」
と、少なくとも1㌶はある大規模で広大な農園の意味を解することが出来なかった。
むしろシードバンクは農園のすみっこにぽつんとこじんまりとたたずんでいてそれはそれは拍子抜けしたのを覚えている。
◆大きな農園の意味
黄色いハムシのような方が腕に。
農耕期。2頭の雄牛を使って伝統的な農耕方法を行っている。(2016年5月)
しかし、農園で過ごしていく中でその理由が徐々に分かり始めた。
農園では「健全な種子を採取・保存する」為に、「健全な作物を栽培する」ということに非常に気を遣っていた。
さらによく見ると「健全な作物を作る」為に、「健全な土・堆肥作り」にも非常に気を遣ってた。
実際彼らは7種類以上堆肥作り方(もちろんケミカルフリー)の実験や土の専門家による研究も行っていた。
風にあてて余計なもみ殻やごみを吹き飛ばし種の選別(そうじ)をする作業。(2016年6月)
農園には多種多様な生き物の連鎖を垣間見る。水田に現れる虫を食べに来たアマサギ(2016年6月)
soil labo(土壌研究室)の中にあった種々のオイル(2016年6月)
雑草に牛糞、ジャグリー蜜、石灰などをかけて層を重ねてミルフィーユ状にしてつくる堆肥。(2016年6月)
Earth warm(ミミズ)を利用した堆肥。(2016年6月)
何が言いたいかお察しの方もいるかもしれないが、
「健全な土・堆肥」の為に
「健全な牛、木々」が、
「健全な水」が、
そして「健全な自然環境」というように
つまり「全てつながって」いた。
これがインドの著名な有機農園ナブダーニャで見つけた「健全な自然どうしのつながり」だ。
このことは誰かに教えられたのではなく自然の摂理をじっくり観察することによって自ら気付いた。
個人主義、競争原理が台頭し、かつノイズが強すぎる東京のような場所では決して気付けなかったことだ。
◆多様性の大切さ
狭い場所であえて多種多様な植物を育てている(2016年5月)
シードバンクに保管されている種 Variety of paddy 米種(2016年5月)
そして、同時に農園が「生物多様性保存農園」と謳っている通り、
健全かつ「多様なつながり」が非常に大切であった。
ところで皆さんは「なぜ多様性は大切か。」という問に答えられますか。
私は答えられませんでした。
中学の理科で習った生物多様性は単なる文言として暗記した程度で理解が伴っていなかったんです。
いろんな豆が入ったサラダ。農園の食事はほとんどが農園の有機野菜で賄い自給している。(2016年5月)
農園でこんな話を耳にした。
「かつて時の首席毛沢東がスズメを指さして害鳥といい、ほとんどのスズメが駆除された。しかしそれによってスズメが捕食していた害虫が急激に増え、穀物が大きな被害を受け飢饉が起きた。」と。
生物はどんな所でつながり合っているかわからない。
むしろあらゆる所でつながり合い、そのつながりの中で生命を保っている。
全てのあらゆる種がパズルのピースのように補い補われながらバランスをとっていた。
また、多様であることの重要性はあらゆる環境の変化に適応する力があるということでもある。
「ああ、だから人間でも寒さに強い人、暑さに強い人、感傷的な人、図太い人がいたのか。」
と気付き精神的には脆いくせにやけに身体ばっかり頑丈な自分にも
「ここに存在した理由がある」と納得し、その時は救われた気がしたのを覚えている。
農園に見学に来た青年グループたち。(2016年5月)
たくさんいるから一つくらい欠けてもいいわけじゃなかった。
代替可能な存在ではなかったのだ、みんな、、自分も。
◆持続化可能な働き方
大切な種の選別は一つ一つ手で行う。(2016年5月)
そしてもう一つの農園で見つけた「つながり」は、そのような大きな活動を担う人々の持続可能的な働き方だ。
この農園は世界中からボランティアが集い、大企業や政府相手に反対運動を先導しているOrganic界のリーダー的団体。
それはそれは厳しく真面目で規律正しい団体なのだと勝手に想像していた。
しかし、全く違った(といったら多少語弊が出るかも)。
どんな様子かというと、、
どや顔でおやじギャグを連発するスタッフ、犬の世話ばかりしているスタッフ、よくわからないヒンドゥー神話をひたすら聞かせるスタッフ。
キッチンの裏庭では男たちの憩いの場。(2016年5月)
説明ない。(2016年5月)
ひたすら自分がなぜか裸で瞑想していた時にトラと遭遇したときの武勇伝を熱く語り続けたハーブガーデン担当のスタッフ(2016年6月)
皆あまりに個性が強かった。
いえ、つまり彼らは自然体だった。
そうしてそこで働いていた。
生きるように、遊ぶように、休むように働いていた。
スタッフのおっさん達は皆楽しそうでよくふざけてじゃれ合っていた。
(たまに目をつぶりたくなった。)
日本の中年のおっさんさんがこんな風に働く姿を想像できない。
ナブダーニャは「おっさんの楽園だね。」となっちゃんとよく言っていた。
ここでは食べ物と住む所という生存基盤が保障されている。
生きる為のお金を稼ぐことに躍起になる必要がなかった。
◆人間としての立場をわきまえた態度
農園にいるインドウシ。ブラーマンと呼ばれるアメリカ南部向けのウシに似ている。(2016年5月)
いちじく。スタッフがくれた。(2016年5月)
でも、何よりも、彼らの態度から学んだことは
「自然の力以上のものを要求しない」ことであった。
雨が降れば仕事は休むし、暑いなら日陰でチャイを飲む。
雑草は生えるものだから気にしすぎない。
種子に本来持っている以上の過度な成長を強いることももちろんしない。
(具体的には遺伝子を組み替えたり、大量の肥料を投与したり。ヴァンダナさんはこれを「暴力」と言っていた。)
そもそも人間が自然を完全にコントロール出来るものなどと思っていないんだろう。
人間として立場をわきまえているからこそ、無理をしない地に足がついた持続的な働き方ができるのだろう。
動物飼育担当のスタッフ。夕日に照らされた彼らの姿は涙がでるほど神々しかった。(2016年5月)
彼らは牛のようにゆっくりと力強く確実に歩を進めていた。
その姿は頼もしく神々しくさえ感じた。
もしお時間あれば、ナブダーニャを訪れる前に是非読んでいただきたいおすすめ本です。
(次回ラダック編につづく)
これは2月に行われたイベントで話した内容を踏襲したものです。